善悪について

善人、悪人という表現がある。

しかし、本来自然の存在である人間が、善だったり、悪だったりするのはなぜなのか。

太陽を見て、悪だと思う人はいるのだろうか。

いるかもしれない。ああ、肌にシミがでいないようにクリームを塗らなきゃいけないと思う人など。

一方で、暖かくて心地いいと思う人、洗濯物がよく乾くと思う人、いろいろだろう。

神様が、人を創造したという前提に立つ。(この前提は、かなり揺るぎないものと思っている。人体や自然の事物を見るとそう思わざるをえない。人を超えた存在を認めざるをえないという感覚がある。)

実際は、どちらかを、あるいはどちらでも選択できるよう、あるいは善人でも悪人でもあるように神様は人を創造したのだろう。

そうした理由は、なんだろうか。たぶんその方が自由だからだろう。

自由意志を発露して、何かを選択する、できるようにする、そのような世界を望んだのかもしれない。

そうすることで、未来は完全には予測できなくなる。

また、同じ事をしても、誰かにとって都合がよければ、それは善、誰かにとって都合が悪ければ悪。

たとえば、包丁は善だろうか、悪だろうか。

どちらにもなり得る。

それを選択できる自由をなぜか与えられている。

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