久しぶりに、平和記念資料館に行った。
昨日、「原爆の絵」というタイトルの本を見て、行ってみようと思った。
小学生の頃に見た時とは、違う感覚があった。
内部の展示が、以前と違っていたこともあるだろう。
もちろん、今日観ても、凄惨な光景が展開されていることに変わりはない。
でも、怖いという感情はほとんどなかった。
僕は、前から、甘いだけの物は苦手だった。チョコレートはダークチョコレートがいいし、コーヒーはブラックがおいしいと思う。飲みたいと思う。
自分自身も病気を抱え、それでも何とか今も生きさせてもらえている。
苦いは、苦しみと同じ漢字。
あえて苦しみの中に身を置いて、そこからどうやって状況を少しでも改善していくか、そんなことを以前より繰り返している気がする。
ひどい火傷を負っている、大量の放射線を浴びている、もう長くないだろうと思ってしまう。
それでも、被爆直後から救護所ができて、わずかな物資を持ち寄って、活動している人たちがいたのだろう。そういう写真が残っている。
そして、子どもを思う母親の気持ち。
また同時に僕は、原爆や水爆の仕組みについても、資料館の展示で少し学んだ。
ウランを濃縮するとか、臨界状態にするなど、どこかで聞いた表現が並んでいる。
また、水爆の方が破壊力が大きいことも、初めて知った。
そして放射線がどの部位に大きく影響を与えるか、どういう症状が出るかも展示・説明があった。
僕の中には、どこか冷徹に観察している部分があると思う。それは母親譲りのものかもしれない。
科学する心を持って、ネガティブから、どうやってポジティブへ変換するかをいつも探求している、僕のスタイルはそんな感じなんだろうと思う。